テレビ芸人だからネタとか作ってる若手の評価は微妙なんかなと思ったわ 87 : 風吹けば名無し@\(^o^)/ :2016/01/27(水) 19:58:00.97 ID:pr26pgX30.net R40世代は関東関西関わらずとんねるず世代 … !』内で結成)。1997年暮れには、当番組で結成した全ての音楽ユニット(CD発売されなかった「サーフノリダーズ」などを含む)が集結し、合同コンサートを渋谷公会堂で開き完結した。その後、音楽系の企画は「とんねるずのみなさんのおかげでした」に引き継がれていく。『生ダラ』でのユニットは全て石橋か木梨のどちらか一方のみが参加するというユニット形態での音楽活動だった。, 1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で番組スタッフと結成した「野猿(やえん)」で、2年ぶりに2人揃って音楽活動を再開することになる。当時番組のコーナーでとんねるずがKinKi Kidsのパロディをした際、バックダンサーとして踊っていた番組スタッフが2人の目に止まり、「CDデビューあるか?」と話が盛り上がりスタートした。元々スタッフのみで結成する予定だったが、ボーカルを決めるオーディションを行った際、まともに歌えるメンバーが少なかったために、ボーカル面で不安を感じた秋元の助言で、一緒に審査していたとんねるずが急遽歌収録に参加することになり、そのまま加入する運びとなった。当初は1曲のみの限定で始まったが反響が大きく、最終的には98年から01年までの約3年間活動が行われた。当グループでは、メンバーの脱退や加入など、曲リリース毎に様々な展開がなされた。活動期間内に11枚のシングル、3枚のアルバム、DVDなどがリリースされ、全てのCD、DVDでオリコンチャートトップ10入りを果たす。NHK紅白歌合戦にも1999年と2000年に2年連続で出場。また1999年には横浜アリーナ、2000年には日本武道館3デイズ、2001年にはコンサートツアー「撤収」を開催し大阪城ホール、名古屋レインボーホール、国立代々木競技場第一体育館3デイズ、更に「完全撤収」と題して同所で追加公演2デイズと大きな会場でのライブも行われた。この代々木でのライブを最後に野猿は解散(『撤収』と呼んでいる)した。そして撤収して10年の節目を迎えた2011年3月9日には、全ての楽曲(全50曲)の着うた配信を開始した。野猿撤収後は再び、それぞれが単独で音楽活動を継続する。(単独での音楽活動は石橋貴明、木梨憲武を参照。), 2008年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内でDJ OZMAと「矢島美容室」を結成。7年以上の月日を経て2人が揃って音楽活動を再開。「矢島工務店」を見てバンドを始めたというDJ OZMAと話が盛り上がり企画がスタートした。とんねるずとDJ OZMAのプロデュースで、ネバダ州から来た母娘による3人ユニットである。楽曲は作詞が脚本家・放送作家の遠藤察男が担当、作曲はDJ OZMA自らが担当している。デビュー曲「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」は、音楽配信で170万ダウンロードを記録(2008年当時)。オリコンCDチャートでトップ3入りのヒットを飛ばす。同年12月20日には国立代々木競技場第一体育館でライブを開催。その後も活動は継続され、計5枚のシングル、2枚のアルバムがリリースされている。2010年にはスクリーンデビューを果たす。彼女達がデビューを果たすまでを描いた映画『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』が4月29日から全国公開。全国上映に先駆けて3月22日に東京国際フォーラム、4月11日に建設中の東京スカイツリーで初めてのイベントとなった映画公開イベントを開催。また舞台挨拶が東京、福岡、大阪、名古屋で開催された。 !』、『とんねるずのハンマープライス』、『とんねるずのみなさんのおかげでした』など名番組を輩出する。, 一方歌手としても活躍し、数々のヒット曲を生み出している。1991年「情けねえ」は日本歌謡大賞受賞、1992年「ガラガラヘビがやってくる」がミリオンヒットに。全国コンサートツアーも1995年まで毎年開催しており、1989年11月には東京ドーム公演を成功させている。, 現在のコンビ名「とんねるず」は、当時日本テレビのゼネラルプロデューサーであった井原高忠が貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」を提案し、本人たちに選ばせた。「とんねるず」というコンビ名に関して井原は(脱線トリオ、てんぷくトリオに続く)次代のお笑いスターになって欲しいという願いと、素の2人を見て「暗い奴ら」と思ったのをかけたという[1]。, コンビだがボケとツッコミの役割が特に分れていないスタイルである。デビュー当時のプロフィールには「カリスマ芸人」と記載していた。二度目の下積み時代(新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」時代など)を経て破天荒な芸風へと変わっていった[2]。, 『オールナイトフジ』出演以降に若さとエネルギー全開「ナ!わけだァ!」節炸裂の過激トークや、スタジオで所狭しと暴れるなどの行動が日常的だったが、同時に人気を獲得することとなった。特に『夕やけニャンニャン』ではアイドルによって態度が激しく違うため、自分が好みのアイドルが不本意なイジられ方をすると「あの石橋や木梨の態度は絶対に許さない」とアイドルファンからの不満を買った。一方でスタジオ観覧の若者が「とんねるずに蹴られた」ことを自慢する時代でもあった。, とんねるずのトークの中にはその時代の流行を反映した言葉が多く用いられている。例えば「○○みたいな。」と語尾に「みたいな」を付ける言葉は若者中心に使われているが、これは主に東京近郊の女子大生が使う言葉を敢えてとんねるずがテレビで誇張して用いることで、全国的に広まった。とんねるずにとっては、親交の深い放送作家、玉井貴代志の口癖である「みたいなみたいな」を真似ていただけだったらしい。, ほかにも『ねるとん紅鯨団』から端を発した「ねるとんパーティ」「ツーショット」、『ねる様の踏み絵』で使われた「元サヤ」など、彼らが発信元となった言葉は数多い。また、今では普通に使われる「○○系」「○○状態」や、「人間関係・恋愛関係」などの正規の使い方ではなく、テレビ関係・スポーツ関係等ジャンルを括る場合などに用いる「〜関係」なども彼らが発信源である[3]。, また芸能界・テレビ界でよく使われる専門用語、いわゆる「業界用語」を多用して広めた経緯があり、今では一般でも使われている事がある。, 「内輪ネタ」もとんねるずの特徴である。ただし、これは一部の放送関係者だけに理解できる発言であることも多く、その発言内容は一般視聴者にはわかりづらいものである事も多かった(古くは『オレたちひょうきん族』でもこの傾向は見られ、当時は「楽屋落ちネタ」と呼ばれた)。また、『とんねるずのオールナイトニッポン』ではトーク内容がほとんどスタッフ(放送作家、マネージャー、プロデューサー、高校時代の友人など)の話題で占めるため、ハガキ職人の書くネタの内容もその話題を受ける格好で放送関係者絡みのネタが目立った。, 業界の慣例だった製作会社社員・スタッフに支給される弁当とタレントの弁当にあった区別をとんねるずが取っ払った。そのスタイル「各業界に壁などない」「スタッフ、素人が同じ舞台に居る」という形が『ねるとん紅鯨団』、「野猿」の結成であり、その「一般人、スタッフネタ」から生まれた番組企画、コントも多数企画された。, 2人とも、幼少時からテレビ好きであり、特に『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズをはじめ『カックラキン大放送! - 中居正広の(生)スーパードラマフェスティバル - タモリ・中居のドラマチック・リビングルーム - バイキング - ヨルタモリ, 2010年4月26日放送『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」ゲスト石橋貴明, 実際には29年目(とんねるずが出演しない別番組を放送していた『おかげでした』の第1・2期の中断期間半年を除いて28年半)である。, 2019年11月1日放送TOKYOFM「鈴木おさむと小森隼人の相談フライデー」の石橋貴明の発言にて. !』以来の交友がある。, 基本的に他のお笑いタレントと共演することを選ばず、主に番組の中にコーナーを設けて個別に好きなことをさせてもらえる環境を選び、新しいタイプのタレントの価値を模索することになる。そのため表面上は漫才ブーム系のタレントとの共演はあまりなく、同業者の交流も前出の『お笑いスター誕生』系タレントが中心だった。ただし同年代のタレントとは盛んに交流を深め、水谷豊、田原俊彦、久保田利伸、元チェッカーズのメンバーなどはプライベートでも会う友人である。, BIG3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)や笑福亭鶴瓶、所ジョージ、関根勤といったお笑い第二世代との共演は比較的多い。島田紳助との共演はあまりなく、このことは紳助が『26時間テレビ』内で放送された『笑っていいとも!増刊号』の「テレフォンショッキング」にゲスト出演した際に語っている。紳助とは『オレたちひょうきん族』や『歌のトップテン』などで頻度は少なかったものの共演経験はある。2000年代以降、さんまと共演することもほとんどなくなっていたが、2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、久しぶりにコンビ揃っての共演を果たした。, とんねるずの2人は美空ひばりとも生前は親交が非常に深く「お嬢」、「タカ」、「ノリ」と呼び合う間柄だった。, 両者の出会いのきっかけは、とんねるずの大ファンだったひばりの息子・加藤和也(現:ひばりプロ社長)の誕生会に2人が呼ばれたことである。その後も『とんねるずのオールナイトニッポン』に、ひばりがアポなしで飛び入り出演した、とんねるずが出演していた同番組の生放送中にひばり本人から電話が入るなどの過去もある。, 彼らが出演していたテレビ番組を見ていたひばりから、放送終了後に二人に電話がかかってきて、深夜にもかかわらずひばりの自宅に呼び出され、夜11時頃から番組内での行き過ぎた歌パフォーマンスに対して説教を受けたことがあり、その際、ひばりのコンサートビデオを延々と見させられ、ひばりが席をはずすなり石橋がビデオを早送りにして何とか見終わったと思いきや、そのビデオは上巻だったらしく、続けて下巻のビデオを結局朝5時頃まで見させられたというエピソードがある。, 1988年に東京ドームの単独コンサート第一号として、不死鳥コンサートが行われ、政界・芸能界から、沢山の有名人が見にかけつけていた中、とんねるずの2人も来ており、石橋は、隣に居た木梨に感動で泣くところを見られたくなかったので、必死に我慢していたが、ついに堪え切れず涙腺が崩壊しそうになり、「ヤバい」と隣の木梨を見たところ、木梨の方が先に号泣していたという。後に、ひばりの親友の中村メイコが食わず嫌い王に出演した際に語ったところによると、俳優の勝新太郎も、コンサートで声を震わせて号泣していたとのことである。, ちなみに石橋はひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年からを芸歴としてカウントすることがある。[13], とんねるずが素人時代に『お笑いスター誕生! - ひょうきんスター誕生 - B&Bのお笑いスター最前線!! 引用元: ・https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1603820930/. !』にプロとして再挑戦して挑むが、10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属したが、クラブの客層に芸風が合わず、受けなかった。, 『お笑いスター誕生! 〜ガウディの愛した街・バルセロナ篇〜. - ダントツ笑撃隊!! ◆香取さんのシットコムの土台となっているのは、番組で長年やってこられたコントなのかなと思うのですが、香取さんにとっての“笑い”の原体験はどこになりますか?, とんねるずに憧れなかった芸能人の方が少ないだろう。ダウンタウンもとんねるずに憧れてたと思うわ, ユーチューブで見たが若者が観客でとんねるずが司会で腕相撲して暴れるやつは今やってもうけそう, スマスマを始めとしたSMAPの売り出し方の歌コント料理ドラマなんでもありってとんねるずっぽいもんな, とんねるずも香取も地上波に追い出された身だからな要約するとYouTubeでコラボお願いしますってことよ, あの頃の男子のとんねるずへの憧れって、オールナイトフジや夕ニャンで大勢の女子と一緒にワイワイやって、, おじゃマップでの存在の薄さとかを見ると、香取オタが芸人でいけたとかいうのが全然わからないよ, ダウンタウンもとんねるずのマネしてアイドルっぽいことやらなければ男受けだけのもっとマニアックな存在だったろうしなー, テレビから戦力外にされた平成までで終わったタレント同士、通じるところが有るんだろう, とんねるずってなんかのスポーツバラエティで縄跳びの縄を回してたのを見たのが最初だったかな. - もう一度笑ってる場合ですよ! FNS27時間テレビ 笑っていいとも! !』へ出演した際、審査員からの評価は芳しくなかったが、審査員の一人のタモリは「お前らなんだかわからねえけど面白い」と評した。この当時、とんねるずを評価していたのはタモリとその世話人の赤塚不二夫だけだった。タモリに誘われて『タモリのオールナイトニッポン』の見学にとんねるずの二人が行った際、このままお笑い芸人として本格的に活動するべきかどうかタモリに相談を持ちかけて、「やりたかったらやってみればいい」というタモリの言葉に後押しされて本格的にプロの道に進む決心をしたという。ブレイク後も『笑っていいとも!』や『ミュージックステーション』といったタモリの冠番組にゲスト出演する機会が多く、2007年10月4日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』でタモリと共演した際には、「タモさんがお笑いスター誕生の審査員じゃなかったら僕たちはこの世に出てなかった」と語っている。またその話を聞いたタモリは、『(ここまで伸びるとは思わなかったから)あの時つぶしとけばよかった』とユーモアをこめて話している。このときの対戦相手は松田聖子で、勝負に負け罰ゲームで約30年ぶりにイグアナとコンドルの着地のものまねを披露した。その後、木梨は2008年に『オールナイトニッポン40周年SP・タモリのオールナイトニッポン』にゲスト出演をしたり、タモリの誕生日のお祝いもしている[14]。2014年1月14日、『笑っていいとも!』放送8000回のゲストでコンビとして29年ぶりに出演し、放送終了の3月までの不定曜日レギュラーを務めた。, 『お笑いスター誕生』時代に草野球の助っ人要員としての始まりで交流のあったビートたけしを元祖マルチタレントの先輩として尊敬している。このことはとんねるずの著書に記載されている。若手の頃、お笑いスター誕生出演後、偶然飲み屋で会ったたけしから「東京芸人、頑張れよ!」と激励されたことがある。この言葉には「当時はたけし後の東京の漫才師で大ブレークした者が大阪芸人に比べ少なかったため、とんねるずには東京芸人の火を消さないように」とのメッセージが込められていた。ブレイク後、オールナイトニッポンの第一部担当パーソナリティー全員が集まるスペシャル番組で共演した際には、恐縮して静かなとんねるずに対して、たけしは歌を披露し「歌だして、とんねるずの人気を落としてやろうと思ったけど、俺はムリだな」と発言し、とんねるずを苦笑させている。現在も交流はつながっており、年1回程度、『とんねるずのみなさんのおかげでした』スペシャルで共演している。, また、たけしの最初の弟子であるそのまんま東(東国原英夫)とは、彼がまだたけし軍団に入る前に組んでいたツーツーレロレロで同時期に『お笑いスター誕生!!』に出場していた戦友であり、深い交流関係にある。『とんねるずの生でダラダラいかせて! 2020年7月15日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『山里亮太の不毛な議論』(毎週水 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太が、ダウンタウン・とんねるず・ウンナンなどではなく今の若手が「憧れている芸人」に衝撃を受けたと語っていた。, 山里亮太:フタリシズカって男女コンビなんだけど、横井かりこるちゃんって、23歳なのよ。, で、俺、話聞くわけよ。俺たちだったら、ダウンタウンさんとか、とんねるずさん、ウッチャンナンチャンさんを見て、とかってあるじゃない。, 23ぐらいに女の子、芸人さんは「今、なにを目指して入ってくるの?」って言ったら、もうにゃんこスターだって。いや、それはにゃんこスターの優劣じゃないよ。, だって、にゃんこスターってもうこの前じゃない。さっきじゃない。まだだって、あそこに温かい縄跳び、落ちてたじゃない。, みんな触って、「おい!まだ近くににゃんこスターがいるぞ!」ってなってたじゃない。温かい縄跳び落ちてて。もう、そうなんだって。, 「じゃあさ、かりこるちゃん」って。仕事する時に、俺たちもあるじゃない。さんまさんが俺の名前言うと緊張する、とか。ダウンタウンさんの前で滑りたくない、とかあるじゃない。, 「かりこるちゃん、一番誰の前に出るのが緊張する?」って言ったら、もうまっすぐな目で言ってたもんね。「嵐!」って言ってたもん。そうなのよ。, じゃあ、そんなにめちゃくちゃお笑いお笑いじゃないのかって思いきや、フタリシズカって加賀屋君って、明らかにお笑い好きそうな子がネタ書いてんのかなって思ったんだけど、最初はそうだったんだけど、かりこるちゃんの持ってくるネタが面白いからって、今、かりこるちゃんが書いてるんだって。, この前のABCお笑いグランプリ(→AbemaTVでフル視聴)の一本目のネタなんて、べらぼうに面白いのよ。.