more, ボッテガ・ヴェネタをアイデンティティに持つラグジュアリーバッグブランド コルト・モルテド. 株式会社コム デ ギャルソン寄贈 収蔵品番号 ac7843 1993-24-51, ac7824 1993-24-32. 今ではヴィンテージとも言われるあの名作揃いの90年代コレクションです ä¹…保の服は「ベガー(物乞い)・ルック」と呼ばれたが、それはみすぼらしさを容認する日本的な美意識の表現であり、その色は墨絵にも似た黒の静謐な諧調表現だった。西欧の色彩表現の範疇に収まらない新しい表情を持つ黒は注目され、80年代、時代の色となった。, 公益財団法人 京都服飾文化研究財団. コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)のコレクション一覧ページです。最新コレクションから過去のアーカイブまで、まとめて掲載しています。 全部ですよ、すごくないですか?! しかもほとんどコムデギャルソンとジュンヤ. アルテセイコ. more, コムデギャルソンを立ち上げるまで コムデギャルソン社の代表取締役社長にしてオーナーデザイナーである川久保玲。一般的にデザイナーというと、服飾系の学校を... 90年代に私の何倍も洋服を買いまくっていた方がいるのですが. コムデギャルソン(COMME des GARÇONS)は、1969年にデザイナー川久保玲によって立ち上げられました。そして1975年には東京コレクションにもデビューを果たし、株式会社コムデギャルソンを設立。, 1978年にはメンズラインであるコムデギャルソン・オム(COMME des GARÇONS HOMME)もスタートさせています。「COMME des GARÇONS」とはフランス語の直訳で「少年のように」を意味していますが、実は「少年の持つ冒険心」であるとも言われています。, ただ、ブランド名について川久保本人は、「この訳の意味にさほどの強い思いはなく、他と差別化する程度のこと」だと語っています。, コムデギャルソンのデザインには、社会に流されない自立した女性像が落とし込まれており、従来のようなフェミニンな要素がなく、黒を基調としたモノトーンやルーズなシルエットで、孤高の女性をイメージしたものでした。, これが一部の熱烈な支持を得ることとなり、1980年代には、おかっぱ頭に黒い服の女性たちが街中を闊歩する「カラス族」という現象を生み出しました。, よく「アンチモード」という言葉で語られるギャルソンですが、単に「アンチ=反対する」というよりは、「流されない」「独自性」という意味合いが強いのだと、川久保本人は語っています。, 日本国内で成功をおさめた後、川久保は同じデザイナーである山本耀司(ヨウジヤマモト)とパリに渡ります。そして1981年にはパリのプレタポルテコレクションにデビュー。, このパリで披露された最初のギャルソンのコレクションは、当時のファッション業界にとって大変センセーショナルなものでした。, 煌びやかなデザインが主流だった当時、それまであまり使われることのなかった黒という色をメインに据えた作品や、穴のあいたようなセーターを発表したことで、賛否両論を巻き起こします。, アパレルの既成概念に挑んだ斬新な手法は「黒の衝撃」などと批判を浴びることもありましたが、このアヴァンギャルドかつクラシックなスタイルは、少しずつ若いクリエイター、デザイナーに受け入れられていくようになります。, また、パリに渡った同年、ローブ・ド・シャンブル・コムデギャルソン(robe de chambre COMME des GARÇONS)、トリコ・コムデギャルソン(trict COMME des GARÇONS)も新たにスタートさせています。, さらに翌年の1982年、パリの法人「COMME des GARÇONS S.A.S.」を設立し、パリ店をオープン。1984年にはコムデギャルソン・オム・プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)が始まりました。, このようにして、黒を主体とする「ぼろルック」と呼ばれる独自のスタイルを築き上げ、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケらと共に世界から注目されるようになります。, そして1980年代の日本でのDCブランド(デザイナーズ&キャラクターズブランド)ブームを牽引し、ブランドの地位を確立していったのです。, その後も続々と世界展開、新ブランド展開をみせたコムデギャルソン。1986年にはアメリカ、ニューヨークにも法人「COMME des GARÇONS S.A.S.」を設立。, 翌1987年、新たにビジネスラインとしてコムデギャルソン・オム・ドゥ(COMME des GARÇONS HOMME DEUX)や、黒をメインとしたライン、コムデギャルソン・ノアール(COMME des GARÇONS noir)もスタート。, さらには1988年になると、フランス生産のシャツだけに特化したコムデギャルソン・シャツ(COMME des GARÇONS SHIRT)も開始。とどまるところを知らない精力的な事業拡大を繰り広げたのです。, 1984年にコムデギャルソン社に入社して以来、同社を支える重要なデザイナーの一人となり、現在は同社の副社長を務めている渡辺惇弥。彼も川久保玲同様、ギャ... 80年代|コム・デ・ギャルソンという独自性 . このかた当時の服全部持ってるんです. コムデギャルソン(COMME des GARÇONS)は、1969年にデザイナー川久保玲によって立ち上げられました。そして1975年には東京コレクションにもデビューを果たし、株式会社コムデギャルソンを設立。 1978年にはメンズラインであるコムデギャルソン・オム(COMME des GARÇONS HOMME)もスタートさせています。「COMME des GARÇONS」とはフランス語の直訳で「少年のように」を意味していますが、実は「少年の持つ冒険心」であるとも言われています。 ただ、ブランド名について川久保本人 … 歴史. ヨウジ ヤマモトとコム・デ・ギャルソン '70年代が高田&三宅の時代なら、'80年代はこの二人の時代だった。 プラダやグッチの影響からミラノ、ラルフ・ローレンやカルバン・クラインの成長からNY、それぞれの地で新たなファッションの流れが台頭していた1980年代。 アートが香る、かわぐちせいこの … more, 創業より既に40年以上の歴史を重ねてきたコムデギャルソン。その間に、実に幅広いジャンルのブランドと多くコラボレーションを実現させてきました。 アパレル... more, デザイナー 渡辺淳弥 コムデギャルソン社の中において2002年から始まったのが、コムデギャルソン・ジュンヤワタナベ・マン(COMME des GARÇ... 2014.10.23 2016.05.21 80年代|80年代アンソロジー 番外篇「ペンギンカフェ」 2013.09.23 2020.05.14 80年代|80年代を駆け抜けた広告たち 広告クリエイターが一躍時代の寵児となった. コム・デ・ギャルソン (仏: comme des garÇons 、略称: cdg)は、日本のファッションデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。通称ギャルソン. 2018.05.29. コム・デ・ギャルソン(仏: COMME des GARÇONS、略称: CDG)は、日本のファッションデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。通称ギャルソン。, 1973年に株式会社コム デ ギャルソン設立。本社は東京都港区南青山。東京コレクション(1975年〜)、パリコレクション(1981年〜)に参加。ロンドンやニューヨーク、パリなど世界各地において200を超える直営店をもつ。, 1991年、ヨウジヤマモトと合同で、東京にてメンズファッションショー「6.1 THE MEN」を実施した。, 1983年より家具も手がけており、1991年にはパリで展覧会を開いたが、現在は販売されていない。, 北京オリンピックに向けSPEEDO(スピード)社が開発した水着「レーザー・レーサー(LZR Racer)」のデザインでコラボレーションしており、「心シリーズ」として展開され活動の幅を広げている。, 2017年の5月にはニューヨークのメトロポリタン美術館で"Rei Kawakubo/Comme des Garçons: Art of the In-Between" 邦題:川久保玲/コム デ ギャルソン : 間の技 (はざまのわざ)が開催された。存命のデザイナーの展示はイヴ・サンローランについで二人目のデザイナーとしての展示となった。[1], 本ブランドの最も大きな特徴は「服の美」に対する強い意識とその主観的な対象化である。それらがどのように具体化され現在に至っているかは下記のとおりである。, 本ブランドの服作りは、当初からパリコレ出展以前においては、細密なパターンとそれを生かす最小限の色彩が特徴的であった。しかし、シンプルな外観の斬新さ、という断片的評価のもとに模倣が多くなされたため、その後、パリコレ出展を機に、造形と感受のコンフォートを前衛的な表現としてみせるという転向を図った。具体的には、服の表面に捻りを加える、撓みを持たせる、アシンメトリーの手法を取り入れるなど、布の平面性を越えた大胆な表現を探求している点があげられる。また、海外生産等の活用による合理化を期待されながらも、可能な限り日本国内での生産を手がけ、制作および製造における日本の高い技術の継続および伝承に積極的に取り組んでいる。本ブランドは、世界のファッション潮流を意識しつつも、それに抗して独自のコンセプトを貫徹させるところが際立っており、アンチモードの力強さと評されることもある。本ブランドにおけるアンチとは、一部メディアの不正確な紹介もあって、単に「反対の」という表面的意味に誤解されることは多いが、川久保玲自身の回想インタビューにもあるように、「多勢に動じない自分としての工夫・独自さ」という含みのある意味である。また、ブランド名については、設立時に「積極的に命名したものでなく、他と明確に区別される最小限のもの」であり、度々紹介される「少年のように」という直訳的意味はメディアのエディター等による解釈の一例であり、デザイナー自身の関心は、この意味付けよりも服の造形のほうに、より強い関心を向けているということである。コムデギャルソンを好んで着るものは、しばし、コムデギャルソンの服を「強い服」と称することがある。, 本ブランドのデザイン的来歴をみると、レディースにおいては、立ち上げから1970年代の創生期は最も純粋にコンセプトが表現されていた。具体的には、白・生成り・茶・グレー・紺・黒の落ち着いた色使いに加え、反面、その色使いに抗して、布地には大胆で微妙なシルエットを与える二面性を持っていた。しかし、ファッション市場に黒が溢れ出すと、黒の使用を控え、赤を中心に据えたコレクション構成が近年の特徴として挙げられる。他方、メンズにおいては、その立ち上げ時に、思想としてのアンチモードが最も強く表れていた。当時のモードスタイルは、遊び上手の男の衣装であり、一見して鮮烈な印象を与えるものであったが、それに抗して、働く男の休日の服がイメージされた。具体的には、印象を透過する癖のない色使いと硬質でややタイトなジャケット&パンツスタイルを基本とし、その中に着るシャツの身頃と袖の幅を大きく広げ、そして、第1ボタンと第2ボタンの間隔を広く取り、シャツの第1ボタンを外すと、シャツのシルエットと開いた襟元から、開放的な休日の表情を出すというような方法を採った。また、シャツに替え、当時はやや緩めのシルエットが一般的であったポロニットをタイトにして、ジャケットのボタンを外したときにも規律感のあるスタイルとなるようにするなどの工夫が凝らされていた。また、21世紀に至り、心象の表象表現をより視覚化する試みをしている。これは、想像される造形もしくは夢で描かれる形の認識といったような色彩概念のない造形概念の具体化であり、BLACK COMME des GARÇONS(ブラックコムデギャルソン)において過去の作品をアンコン化と単色化によって限定的に表現するといったものであった。, ところで、別な観点からは、この二面性は本ブランドの本質でもある。この実践として、不変なもの/変化するものという相反する要素をひとつひとつのアイテムに持たせ、不変なものはコンサーバティブやトラディショナルとは次元を異にするアイデンティティーであり、変化するものはこのアイデンティティーによる表現としている。これはコーディネイトにおける煩瑣な様式からの解放と、そこに付加される嗜好の変化である。この服への考えはインターナショナルの舞台において、非構造的ないし解体的な表現として穴や布の縮み・染めとなって具体化され、構造的な表現としてシンメトリーおよびアシンメトリー・布の重ね合わせとなって具体化された。パリコレ進出以降、その傾向として、2014年度のコレクションまでは解体的な表現が多かったが、2015年のコレクション発表に及んで、特に、メンズラインではすべて、ブランド本来の持ち味である構造的な表現がみられた。本ブランドは、服に思想を込めるものであり、これが他のブランドとの間のアドヴァンテージでもあるが、2015年度においては、それが一体的表現としてインテグレイトされている点が従来と異なっている。, 本ブランドは、例えば、絵画におけるジョルジョ・デ・キリコやアメデオ・モディリアーニのように、その前衛表現を特徴とする。そして、これは、現在においてもデザイナー各人とクリエーションに関わるすべての人たちのモチーフとなっている。しかし、一方で、定番・準定番とよばれるアイテム群があり、インターナショナルで高級なベーシックブランドとしても広く知られている。, なお、代名詞的に語られる1980年代前半のコレクションの多くは白・黒を中心としたモノ・トーンであり、モード誌等でそれまでのファッションの常識を覆すものであったと評されたことがある。しかし、モードの歴史を正確に追っていった時、黒という色はソニア・リキエル、ジャン・ポール・ゴルチェなどのデザイナーによって1970年代末から取り入れられていたものであり、とりわけソニアは同時代において「黒のソニア」として注目されていた。こうした経緯を踏まえると、この時期に限ったコムデギャルソンの色使いは、現在、国内において広く見られるようになったモノ・トーンによるコーディネイトに先鞭をつけたものである。, その後、「黒」がその流行によってありふれた色となり、黒の持つ「色彩の否定と反抗」の意味が後退すると、赤を「唯一の色彩と他の色の否定」の意味で用いるようになった。そして無彩色や暗色の使用を経て、性差を大胆に超える伸びやかでかつ斬新なデザイン等で、先進的な試みは国際的に高い評価を受け続けており、日本を代表するブランドの一つと見なされている。, また、一方で、コーディネイトにおけるアイテムのフォアグラウンド/バックグラウンドのポジション効果について実験的な試みを行い、特に、1990年代後半ではボディー&クロウズの位相的表現で話題を呼んだ。なお、SHIRTというシングルアイテムのブランドでのトータルコーディネイトからの解放の試みや、アトリエの後続によるブランドの立上げには、この指向が強く現れている。このようなことから、安藤忠雄、村上春樹といった文化人、また海外のロバート・デ・ニーロ、デニス・ホッパー、ビョーク、ファレル・ウィリアムス、カニエ・ウェスト、リアーナ、大坂なおみなどをはじめとする世界各国のセレブリティに愛用されている。, 同社社長を川久保が、副社長を渡辺がそれぞれ務め、デザイナーが経営面においても責任を持つという姿勢を明確にしている。なお、同社常務は川久保の実弟である川久保理が就いている。以下はそれぞれのデザイナーの手掛けるブランドである。, なお、川久保玲と渡辺淳弥とでは、デザインへのアプローチが異なっており、前者は完成度の高いパターンを不可欠の前提とした上で、さまざまな表現を試みる傾向にあるが、後者は造形のハーモナイズを不可欠の前提とした上で、時々の関心の高い手法を加える傾向にある。栗原たお、両者とは異なるアプローチをしている。, コム デ ギャルソンは早くから同業種・他業種とのコラボレーションを行ってきており、別注から一から関わっているもの等様々である。その中でも、JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANは毎期コラボレーションを行っている。, 本ブランドにおける店舗は、単に製品を販売する場ではなく、ファッション表現の重要な要素のひとつとして位置付けられているため、当初から服とともにその話題性は高い。例えば、青山店は、2012年4月7日のリニューアルオープンを原点回帰として、それ以前の空中の開放感と緊張感をイメージさせるものから、発掘・発見されるファッションと遺跡での落着いた雰囲気をイメージさせるものへと変化した。百貨店等テナントや海外店舗などは 公式サイト で公開されている。, 大阪店は直営店としては最大級の店舗としてリニューアルした。コム デ ギャルソンの全ブランドに加え、日本で3店舗目となる〈NIKE CdG OSAKA〉、, そしてA BATHING BAPE®のショップインショップが存在している。[11], 2009年8月8日より、大阪店2階に「Six」と名づけたアートスペースをオープン。「Six」はSix Senses (the sixth sense) の意味。 “視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚“の5つの現実的な感覚に対して、第六感は、その次の、現実的に表現できない感覚“アレ”と同じような意味で、「6」はシュールレアリスティックでアレなセンスと考えられている。また、コム デ ギャルソンにとって「Six」は、1988年から1991年の間に発行していたイメージマガジンのタイトルで、そこからスペースの名前が付けられた。様々なアーティストとコラボレーションし、コム・デ・ギャルソンの視点で関西からアートを発信する新しい試みを行っている。開館時間12:00〜19:00 月曜日休廊(月曜日が祝日の場合は営業), http://www.vogue.co.uk/news/daily/110118-tao-closes-her-comme-des-garcons-la.aspx, http://www.wwd.com/fashion-news/tao-comme-des-garons-label-to-end-3429506, コム デ ギャルソンとディアンドデパートメントのコラボショップが全店閉店、新ブランド旗艦店に, 「ギャルソン」六本木店9月1日オープン 国内2店舗目の「トレーディング ミュージアム」, DOVER STREET MARKET / ドーバーストリートマーケット- ZOZOTOWN, NUMBER 3 is the former COMME des GARÇONS Guerrilla Store +30210 Athens, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=コム・デ・ギャルソン&oldid=80050871, 大阪店 - 大阪府大阪市中央区南船場4-4-21(旧住所:大阪市中央区南船場三丁目12番22号), DOVER STREET MARKET GINZA COMME des GARÇONS- 東京都中央区銀座六丁目9番5号 ギンザコマツ西館1 - 6階, 2012年3月16日オープン。株式会社コムデギャルソンの子会社にあたる株式会社DOVER STREET MARKET JAPANが運営を行っており、直営店ではない。, 2009年に表参道のGYREにオープンした新業態。2017年9月には六本木ミッドタウンに大型の二店舗目がオープン, 10 Corsocomo COMME des GARÇONS - 東京都港区南青山五丁目3番22号 ブルーサンクポイントA棟20号、同B棟, イタリア・ミラノのセレクトショップ「10(ディエチ)コルソコモ」との共同作業。2012年2月14日を以って閉店。, 青山店の近く骨董通り沿いに位置し、イベント会場やコラボレーションショップとして使用していた。現在はテナント契約終了。, colette meets COMME des GARÇONS (2004/7〜2004/12), LOUIS VUITTON at COMME des GARÇONS (2008/9〜2008/12), VOGUE NIPPON and Comme des Garçons MAGAZINE ALIVE (2009/5〜2009/11), 『Visionaire No.20 COMME des GARÇONS』Distributed Art Pub Inc. 1997.2, 『ReFUSING FASHION:REIKAWAKUBO』Museum of Contemporary Art 2008, 『high fashion 2010年4月号 No.332』文化出版社 2010.2, 『ROCKS VOL.6 CNN ENGLISH EXPRESS 2010年5月号増刊』朝日出版社 2010.5, 『SWITCH Vol.33 No.3 COMME des GARCONS 未来への意思を繋ぐもの』.