大学:東洋大学経済学部 (Wikipediaより引用) 酒井監督が生まれた1976年、昭和51年といえば、 ロッキード事件 が起こった年です。 “記憶にございません”が流行語となりました! 酒井監督が中学・高校生のときに バブルが崩壊 し、 All Rights Reserved. 東洋大学陸上競技部の長距離部門監督の酒井俊幸(さかいとしゆき)さんは 1976年5月23日 生まれの42歳です。(2018年12月現在) 福島県石川郡石川町 の出身で、現在は62名の部員と寮で寝食を共にしています。 その他詳しくは次からです。

東洋大学 17年連続77回目 前回02位13年連続シード権獲得中 優勝4回(85・86・88・90回) 往路優勝6回 復路優勝3回 区間賞40回 創部 1927年 タスキの色 鉄紺. Copyright © Toyo University. 4years.は大学スポーツに特化したデジタルメディアです。大学生たちのドラマに一つでも多く寄り添っていきます。, 1月2、3日@大手町~箱根の10区間217.1km10位 東洋大 10時間59分11秒, 1月2、3日にあった第96回箱根駅伝で、優勝候補の一角とされていた東洋大は10位に終わった。一時はシード圏外の14位に後退する場面もあったが、なんとかシード権は死守した。, 酒井俊幸監督が昨年12月29日の区間エントリーの際、「往路は隠さずに」「正攻法で」と言った通り、2日往路当日もエントリー変更をすることなく臨んだ。1区(21.3km)は前年まで2年連続区間賞の西山和弥(3年、東農大二)。ここで勢いをつけて引き離したいところだったが、西山は11kmすぎから先頭集団と離れてしまい、結果的にトップと2分2秒差の14位で2区(23.1km)の相澤晃(4年、学法石川)に襷(たすき)リレー。相澤は走る直前に「全員抜く」と宣言していた通り、猛烈な勢いで前を追う。区間新記録1時間5分57秒、史上初の1時間5分台に突入する異次元の走りで順位を7位まで上げた。, しかし3区(21.4km)吉川洋次(3年、那須拓陽)が区間13位、4区(20.9km)渡邉奏太(4年、吉原工)が区間20位と奮わず、小田原中継所では14位で襷をつなぐ。5区は初の箱根駅伝、初の山上りとなった宮下隼人(2年、富士河口湖)。「5区にあこがれて東洋に入学した」という本人の言葉と、酒井監督が山の適性には太鼓判を押した通りの力強い走りでぐんぐん山を上る。区間1位、新記録の走りで11番目に芦ノ湖のゴールに飛び込んだ。, 翌日1月3日の復路、6区(20.8km)はこの区間3年連続となった今西駿介(4年、小林)。東海大の館澤亨次(4年、埼玉栄)には及ばなかったが、57分34秒の区間新記録(区間2位)で7位で襷をつないだ。9区までは7位をキープ。最終10区(23.0km)で3つ順位を落としたが、10位でシード権は守った。, 東洋大は前回大会まで11年連続3位以内と、安定した強さを誇っていた。酒井監督はレース直後、「伝統を途絶えさせてしまったことを重く受け止めている」と口にした。東洋大の今シーズンのテーマは「世界への挑戦と学生駅伝の優勝」。相澤など上位層が日本代表クラスのトップレベルに挑戦する一方、下位層の底上げが遅れ、中間層にぽっかりと穴が空いてしまったと振り返る。, 「本来走るべき選手が1年通して出場できなかったのは、私の責任だと思います。原点に戻って選手たちとともにやっていかないと。来シーズンはすごく大事で、すぐに上位に戻らないと。上位層の大学のレベルが高くなってるので」。今回の箱根駅伝ではいままでとは異なる「超高速駅伝」となり、そこについていかないといけない、という大きな危機感を口にした。, 相澤という大エースがいるチームで、「エースに頼らず、エースを生かすレースを」とたびたび口にしていた酒井監督だが、結果的にエースに頼り切っていたチームだったと認めた。区間1位が2区間、2位が1区間。本来なら優勝争いをしていてもおかしくない成績だ。「チームとしてはちぐはぐだったなと思います。本来東洋は安定した走りが売りだったので。(2区で1時間)5分台出せるエースがいなくなりますので、そこは1からチームを作り直さないと」と言葉に力をこめる。, 区間最下位となった4区の渡邉については、手術をしてからずっと痛みを抱えていたと酒井監督は明かした。「全日本も痛みがある中で走ってました。今回の箱根でも痛みがアクシデント的に出てしまって、そこがちょっとついてなかったなと」。復路のエントリー変更で定方駿(4年、川棚)を外したことについては「29日の区間エントリーの後に調子が上がらなかった者が何人かいた。定方も復路でなんとかしてほしかったが、そのうちの一人です。それだったら下級生を使おうと」, しかし本来最下位の区間があれば、シード争いも厳しくなるところ。「(5区)宮下と(6区)今西がよく走ってくれました。山は東洋がトップかなと。宮下はこれで来年もいける目処が立ちました。4年生が抜けた穴をみんなで埋めていければいいなと思います」, 1区で万全の走りができなかった西山は、昨年1月に右の恥骨を剝離骨折していたことが3月に判明し、3月末まで走れなかった。その後、ユニバーシアードの代表にも選ばれ10000mで8位入賞など実績を残してきたが、出雲駅伝では1区10位、全日本大学駅伝では5区11位と、力を発揮しきれていなかった。西山は自らの状態について「1年間しっかり努力をしないと、いざというときに走れないんだなと思いました」と振り返った。体の状態もまだ万全ではなかったが、それ以上にプラスアルファとなる自信、気持ちの部分が今回は足りなかったという。, 3年生は、入学したときに「最高学年になったときに優勝しよう」と誓い合い、切磋琢磨(せっさたくま)しながらやってきた。「でも甘い部分がたくさんあったからこういう結果になったんだなと」。4年生への思いを問われると「この1年、申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分たちのせいで負けてしまったと言っても過言ではないので……。その思いを返すには、もう一度自分たちがしっかり走ることだと思うので、そういう思いで1年取り組んでいきたいです」, 「エースもいて、山(5、6区)もいる。本来は勝たないと」と言った酒井監督。「選手とともに」「一から立て直す」と何度も口にしていたのが印象的だった。強い東洋復活のために、新しいシーズンのスタートはすでに始まっている。, 陸上・駅伝、アメフト、野球、ラグビー、サッカー、バスケ、バレー、ラクロスをはじめ、あらゆる競技について全力で独自取材したヒューマンストーリーをお届けしています。そのほか、全国大学選手権(インカレ)などのビッグイベントに関する特集や、東京オリンピック・パラリンピック出場を目指す学生アスリートたちの特集、理系学部で学ぶアスリートの文武両道についての連載など、さまざまな視点から大学スポーツをとらえていきます。, 大学スポーツに取り組める「4年間」という限られた時間に情熱を注ぐ彼ら、彼女らには、数限りないドラマがあります。そのドラマに一つでも多く寄り添い、いつか大学スポーツの会場をお客さんで埋めたい。そんな思いで運営しています。.

© OCEANS & LIGHTHOUSE MEDIA ALL RIGHTS RESERVED. 酒井監督オンライントークショー開催!(12月9日申込締切!) 11/4 早大競技会の結果(小田・清野・熊崎・九嶋選手PB!) 11/1 第52回全日本大学駅伝の結果(6位も13年連続シード死守) 10/31 03 酒井監督 競歩・池田、川野を「ささえる」人 母校である東洋大学の監督となるまで、どのような経験をされましたか? 東洋大学の監督に就任する前は、故郷である福島県で高校の陸上競技部の指導をし … 東洋大学の酒井俊幸監督のプロフィールは?イケメン監督と評判! 箱根駅伝2019の東洋大学の区間オーダーと結果!往路優勝で総合3位! 2020年箱根駅伝東洋大学チームの特長は? 【箱根駅伝】東洋大学の過去出場歴と順位は? 東洋大学の出雲駅伝2019の結果 小さくても広い車内。日本向けな英国スモールSUVの名は「Eペイス」と「イヴォーグ」, FREDERIQUE CONSTANT 時刻を知る、以上の価値を求め続ける「フレデリック・コンスタント」, nanamica コスパ4倍以上。ナナミカの注目アウターをON・OFFで、男女で兼用してみた!, CITIZEN ATTESA 料理人マーシーが絶大な信頼を寄せる「アテッサ」の“黒いギア”, AUDEMARS PIGUET 伝統と革新の中で磨き抜かれた個性を纏う「オーデマ ピゲ 」の新作, Dolive 波待ちの家で叶えるマーシー理想のクッキングライフ。海を見ながら作る料理, Mercedes-Benz メルセデス・ベンツ「Bクラス」は、大人の男が乗るべきBestチョイスな車, ASTALIFT MEN やってなかった人ほどハマる美容液。“鮭色ジェリー”が大人の男に刺さる科学的根拠, LANVIN en Bleu 着回しKINGなランバン オン ブルーの紺ジャケ。 手持ちの私服で三変化!, BANANA REPUBLIC 印象な男服=バナナ・リパブリック。 女性スタイリストが導く5つの正解は?, FOREVERMARK 失敗しないギフトをお探しなら、フォーエバーマークのダイヤモンドが正解です, JEEP 「雪山下りてもグラチェロは降りません」。フリースキーヤーが語るJEEPのポテンシャル, 連載「Quarity of CAR LIFE 向上委員会」 乗りたかったのは、キブンが乗るクルマ, 連載「Camp Gear Note」 ブームといわれているアウトドア。 次々に新しいギアが生まれている, 連載「ミウラメシ」 本誌モデルの三浦理志さんのリアルなライフスタイルから生まれたレシピを紹介. 東洋大学の監督に就任する前は、故郷である福島県で高校の陸上競技部の指導をしていました。大学の陸上競技部を1999年に巣立って実業団の選手として競技を続けている時から、「いつかは指導者になりたい」という想いがあり、念願叶って高校の陸上競技部顧問になったのが今から15年ほど前ですね。顧問時代は部員と一緒にトラックを走りながら実例を示し、背中で引っ張るということを大事にしていました。教え子たちへの責任と思い入れが強く、実は東洋大学から監督就任の打診を受けた際に一度お断りしたのですが、私の意志を継いで生徒たちを育てる体制が整ったことを機に、2009年、東洋大学陸上競技部長距離部門の監督に就任しました。それから現在まで、指導者として成長し続けられるよう一日一日全力で励んでいます。, 川野は入学前から同世代のトップ選手で身体能力も高く、当時から大学生では挑戦する選手が少ない50km競歩への出場を目指して練習をしていました。有名選手として東洋大学に入学しましたが、その後の大会で池田に敗北を喫することになります。しかしそれで挫けてしまわないのが川野のすごいところ。負けを素直な心で受け止めて糧にしたことで、現在は50km競歩における日本記録保持者へと昇り詰めました。そしていち早く東京五輪への出場の切符を掴み、「革新」をテーマに世界記録の更新を目指して着々と歩を進めています。, 池田を語るうえで外せないのが、「マネージャー業務と兼任での入部から、努力を重ねて今のレベルに到達した」ということ。マネージャーでも良いのかと問う私に対し、それでも入部を熱望してきた力強い眼差しは今も強く印象に残っています。高校3年の冬から先行して始めたトレーニングの努力はすぐに花開き、大学1年の5月に行われた関東学生陸上競技対校選手権大会でいきなり2位を獲得。その後もめきめきと成績を伸ばし、2019年には20km競歩の世界ランキング1位も経験。日本を代表する競歩選手の1人へと成長を遂げました。池田と川野は、歳も同じで仲も良く、切磋琢磨し合える関係を築いているようです。, 誰にでも伝わりやすい指示になるよう、伝え方には特に気を付けています。たとえば文章で伝える場合も冒頭に要旨や結論を書き、一文は短く箇条書きで。それでも毎回、反省の繰り返しです。また、長距離部門に所属する50名を超える部員それぞれの状況に寄り添いオーダーメイドの指導ができるよう、選手の観察→選手の理解→指示の振り返り→次回の指示内容の修正→今後の指導の発展、という一連のサイクルを毎回実行しています。文武両道、選手が陸上競技だけでなく学業にも励めるよう細部にまで気を配るのが監督の責任です。近年はIT技術も駆使し、選手のフォームを映像で撮影したり、選手の体調記録のデータ化、学生スタッフ・マネージャーらとの情報共有などを行い、指導方法の精度向上に努めています。競歩は気温や天気、路面状況など思い通りになることの方が少なく厳しい競技ですが、そんな中でも「自律」し「自立」できる池田・川野の大舞台を、是非楽しみにしていてください。, 陸上競技部の卒業生が働くかばん店「一澤信三郎帆布」で作られた鞄。雨に強く、練習や大会の時にはいつも一緒です。. 東洋大学 酒井俊幸監督. 大学駅伝屈指の強豪、東洋大学駅伝部の監督である酒井俊幸さん(43歳)は、32歳という若さで監督に就任以降、自身の母校でもある東洋大を何度も箱根駅伝優勝に導いてきた。自身は学生時代、キャプテンを務めながらも箱根の走者から外されたという苦い経験を持つ酒井さん。 1月2、3日にあった第96回箱根駅伝で、優勝候補の一角とされていた東洋大は10位に終わった。一時はシード圏外の14位に後退する場面もあったが、なんとかシード権は死守した。 新入部員 橋本龍が激白 東洋大学陸上部のいじめ・暴力で退部に追い込まれた 退部者続出 東洋陸上部酒井監督の冷徹さ 部内のガバナンスも成って無く暴力やいじめが蔓延してる東洋陸上部 現4年生が入学したのは総勢16名 3年後現在8名が退部 大学駅伝屈指の強豪、東洋大学陸上競技部長距離部門の監督である酒井俊幸さん(43歳)は、32歳という若さで監督に就任以降、自身の母校でもある東洋大を何度も箱根駅伝優勝に導いてきた。, 自身は学生時代、キャプテンを務めながらも箱根の走者から外されたという苦い経験を持つ酒井さん。しかし、その経験が監督としての今の自分を形作っているという。, 「駅伝のメンバーに入れなかった選手に対する説明は最も気を使うし、正直、監督として気が重くなるときです。ただ私自身がメンバーから外れた経験があるからこそ、あと一歩のところで外れてしまった選手の気持ちもわかってあげられるのではないかと思っています」。, メンバーになれなかった悔しさ、思うように結果を出せなかった自分への苛立ち、選ばれたチームメイトへの複雑な感情。それは大学4年次の最後の駅伝でメンバー交代を告げられた酒井さんだからこそ、誰よりもわかる痛みなのだろう。, 「私自身、当時は学生最後の1年間何をやっていたのだろうと、情けなさと悔しさでいっぱいでした。でも、箱根駅伝はごまかしがききません。本調子じゃないときに起用しても良い結果は出ないし、選手としても批判を浴びて、その後の選手生命にも関わってくる。そこまで監督は考えたうえで私を起用しなかった。今ならそれがよくわかります」。, 箱根駅伝はごまかせない。だからこそ、自身もメンバーを選出する際は、「愛情はかけても情けはかけない」をモットーに、コンディションを冷静に観察し、選んでいるという。, 箱根駅伝での苦い思いを噛み締めながら、大学卒業後はコニカ(現・コニカミノルタ)に就職。実業団選手として、陸上競技メインの生活は変わらないが、陸上競技が“業務”となった。社会人になってから日々は、食事から練習量まで、学生時代との変化を大きく感じたという。, 「練習量が増えたので、自然と必要なカロリー数も上がりました。そこで、食事の栄養と摂取量を学生時代と変えてみると、体に変化がありました。そのとき思ったのは、出されたものを何も考えずに食べているだけではダメなのだということ。『己を知ることが、己に克つこと』。より強くなるために栄養学について学び、筋肉、血液、自分の体のことを、まず自分自身がいちばんに理解しようと思いました」, 食生活によって長距離の練習に負けない体をつくった酒井さんは全日本実業団駅伝3連覇に貢献。アンカーとしてチームを支えた。実業団を6年経験したあとは故郷である福島に戻り、母校の高校で教員生活を送る。教員時代も陸上部顧問として高校生と一緒に走りながら指導に携わりつつ、国体ハーフマラソンにも出場。東洋大学の箱根駅伝初優勝の立役者である選手で『山の神』と呼ばれた柏原竜二さんを発掘したのも、この頃だ。, 「私は教員時代、高校生と一緒にレースに出場しても、高校生に先着されたことはありませんでした。部活動では走る模範を自ら示していたので、生徒の前では常に速い先生でいる必要があったからです。しかし、初めてレースで先着されたのが柏原でした」。, そんな柏原さんが、のちに酒井監督のもとで東洋大学を優勝に導くのだから、縁というのは不思議なものである。, 実業団時代の選手成績、そして教員としての指導経験を評価され、母校である東洋大学の駅伝監督に就任したのは今から10年前。東洋大学が箱根駅伝で初優勝を果たした直後の2009年だった。, 「当初は、すぐに断りました。私には福島の高校で受け持っているクラスと部活動の生徒がいたし、彼らに対する責任がありましたから。ただ、そのあともしばらく監督への打診は続きました。そこから次第に、『安心して引継ぎができる後任の指導者が見つかれば前に進もう』と心境が変わっていきました。それは、一緒に教員として働いていた妻の後押しが大きかったですね。妻も陸上選手で指導者でもあったので、理解がありました」。, 就任早々、V2がかかった、大事な1年。大きな期待を背負いながら、最年少で大学駅伝の監督になったとき、どんな思いがあったのだろうか。, 「当時は監督を引き受けた以上、絶対に結果を残さねばと思っていました。地元を離れてついてきてくれた家族への責任や福島に残してきた生徒たちへの使命感があったからです。ですから優勝したときは、喜びというより安堵のほうが強かったですね」。, 酒井さんは見事V2を達成し、東洋大学は大学駅伝の強豪校として名を連ねるようになった。, 「でも本当に大変なのはそこからでした。優勝チームを率いるということは、目標は常に優勝。それ以外はありえません。一度トップにたってしまえば、その次からは2位でもおめでとう、とはならない。残念だったねと言われてしまう。学生は4年間で卒業しますので、常に優勝を目指すチーム作りを行うことは容易ではありません。箱根駅伝に向けた強化を多くの大学が総力をあげて行っています」。, 目指すは優勝。それは、どの大学も同じだ。選手の気持ちをどれだけ引っ張っていけるかは監督の手腕にかかっている。, しかし、そんな大きな試練にも、もう酒井さんは怯んでいない。監督を担って10年間、選手と一緒に自身も変化を遂げているからだ。, 「陸上選手も指導者も、ただ走り続ければいい、ではない。苦しいときには立ち止まって、己を知り、刷新の準備をする。フィジカルもメンタルも、成長のためには自分を知るところから始まります。最初はただがむしゃらになっているだけでも良かったけど、40代になって新たなやり方を模索していかなければならないと思うようになりました」。, 過去のやり方は、いつまでも通用しない。40代の手前になると、変化を恐れずそれまでの考え方を刷新し、自分自身をもう一度作りなおしていかなければと思う時期が、きっと誰にでも訪れるのだ。, 「今の時代は学生も多様化しています。私たちのようにスマホもなかった頃とは違う。伝え方も工夫しなければならないし、難しいなと感じるときもあります。でも多様な学生たちが、勝利に向かって主体的に取り組めるチームを、どうやって私が導いていき手助けをしていくか。今はそれがミッションであり、楽しみでもありますね」。, 東洋大学が最後に箱根で総合優勝を決めたのは、酒井さんが37歳のとき。以来、惜しくも優勝を逃し続けている。しかし「今年こそ優勝を!」というような周囲の期待を背負いながらも、最後の箱根駅伝に出られなかった悔しさや、監督として勝利の喜びを味わい尽くした経験から滲み出る“余裕”が感じられた。, 2020年の1月2日と3日、酒井さんがどのように選手たちを鼓舞するのか。今から楽しみでならない。, 「己を知ることで変化を遂げる」東洋大学陸上競技部監督・酒井俊幸、変化を恐れない姿勢の原点とは?.